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今年の春(とはいえもう去年)の前立腺癌さわぎ(その10)

岡本先生より「デモに参加せよ」との指令が届きホテルを予約するにも何故か滋賀医科大学付属病院最寄りの「瀬田駅」周りのホテルが満室?値段をあげることでなんとか数駅離れた「大津駅」裏の改札口地下道直結型のホテルが取れ一安心していたのもつかの間、草津駅前でのデモ行進&シュプレヒコールに参加する日がやってきた。いままでも署名活動やスタンディング、JR駅前での集会等々に出席はしてきたけれどもデモ行進は初めて。新幹線で京都までうつらうつら、HuluElementaryを観るでもない寝るでもない、在来線に乗り換え琵琶湖右回りの琵琶湖線で草津駅に到着すれば遠目にも見えてきた東口に数々の幟、それらはゆらゆらとまるで戦国時代の武将が武者震いをしているようにも見えるが目を凝らしてみると幟を持って佇んでいるのは勇ましくはないじいちゃん集団。私もじいちゃんで同類なのだが皆さん病気が前立腺癌なだけに高齢の男性に限定、すでにお日様と照り返しに炙られ苦々しく肩で息をしている方も居るように見えた。やがて拡声器が幾度もハウリングを起こしながら「くれぐれもご自分の体は自己管理#@水分補給を◆&#」ぶわぶわと風に揺れる拡声器の声は聴きとりづらい。そんなこんな注意事項が述べられ待機患者さんたちの挨拶があり「それでは@*▽!」どうやら出発か?暑さのせいで若干不機嫌にも見える大津警察官の方々による誘導に従って車道を2列で歩き、シュプレヒコールで声張り上げながらぞろぞろ歩いていると突然目の前の景色は一気に高校3年の夏だったか春だったか?米軍基地前の国道189号線にトリップした。思い出した、デモ行進は初めてじゃなかった。反戦喫茶に大物フォーク歌手が来たというような噂を聞きつけては周りをうろついてみたり、丈の長いジーンズに踵の高い靴を履きギターを持っていったりきたりぶらぶらしてみたりのそんな高校生のある休日、長髪でヘルメットを持った学生運動真っ最中の大学生風に声をかけられた。反戦デモに参加しないかということだったので機動隊と衝突し、暴れて警察に保護されるまま停学になる自分が目に浮かんだがそれよりなにより面白そうなので速攻でOKした。あくる日の約束の場所に集まればスクラムを組んで小走りでのデモ行進が始まり、ジグザグ走りに慣れないままに「ヤンキーゴーホーム!アメ公帰れ!安保粉砕!アメ公帰れ!」と笑顔で声を張り上げるのはそれなりに楽しかったが父の職業が外人相手の絵描きだったり、自分も外人の友人も居ることでなんとなく後ろめたい気持ちもあり、複雑な思いだった。デモが終わると3千円だったか2千円だったかが配られ何だか不思議な気持ちで冷房の効いたパチンコ屋に転がり込み玉弾きながら煙草ふかし、大人気分で好い気になっていたような記憶があるが、そんなこんなあれから40数年が過ぎた今現在、まさか前立腺癌にかかったことが縁?というか何というか炎天下のデモ行進なのだ。うむむと声を飲み込みシュプレヒコール。草津駅東口からショッピングモールから市街地からぐるぐると歩いて叫んで汗だくのままやがて草津駅西口に到着、ゴールでのイベントは特になく自然解散とのことなので速攻「大津駅」裏のホテルに投降したが、遠方から来た人(私のことではなく)がなんとなく気の毒で心に残った。かくいう自分とてそのまま帰ればいいのに泊まったのはあくる日大阪のカーディーラーに用事があるからというかデモの日程に合わせて貰ったからで、契約した赤のRENAULTのバンは大衆車であり、その高級外車というかプレミアカー専門店のだだっ広い駐車場の片隅でで悲しそうに浮いていたから益々なんとかしてあげようという気持ちになった。呉SOGO閉鎖前にペットショップで大きくなりすぎて餌が貰えず窮屈なケージの隙間から私の指をぺろりと舐めた餓死寸前のノルウェイジャンフォレストキャットを見つけ、後日キャリーバッグに入れて抱いて帰ったことを思い出した。赤いRENAULTのバンは4人乗ってもキャンプ用具が全て詰めるという理由だけで気に入ったのだが、早く取りにいかないと怖い顔したBENZBMW、ポルシェたちプレミアムカーに苛められてしまうのではないかと心配している。岡本教授の前立腺癌小線源治療学講座は任期まで延長され、たちまちの待機患者さんたちはもう助かる喜びで一杯、声を聴くだけで嬉しくなった。癌を宣告され治療法と病院の選択で眠れない日々を過ごしていたある日、岡本教授の前立腺癌小線源治療学講座を見つけ、高リスク前立腺癌のトリモダリティ治療による非再発率の数字を見たときの喜び、そして恐る恐るのメール、速攻帰ってきた岡本先生からのどちらかと言えば朴訥な「23年先でも治ります」との夢のような返信。患者会の皆さんは皆私と同じようなプロセスを経て今生きており、待機患者さんの気持ちは手に取るように判るのである。次は前立腺癌小線源治療学講座の延長ではなく、講座の契約更新による治療の継続を願うものである。そのほうが患者は助かるし、病院も儲かるのにねえ~もう喧嘩はやめて欲しい。

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