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2018年5月

今年の春の前立腺癌さわぎ(その3)

Psa2

5/16当日、SS医科大学付属病院を訪ねる。朝一番の新幹線で京都まで行き、琵琶湖線で瀬田駅下車。どなたかのブログに書いてあった「餃子の王将」の前バス停でバスに乗り、大学ではなく付属病院前で下車。受付で診察券を作って貰い、放射線科(泌尿器科ではなく?)で待つこと数時間、コールがかかり若干の緊張のまま挨拶もそこそこに座るや否やの質問攻め。「2015年に肺癌と大腸癌をやってますが問診票に正確に記入して」「大腸から肺の転移で見つかったということで主治医の先生は再発率・生存率についてどう言われましたか」「肉親に癌で亡くなったかたは」あたふたと説明するうちに漸くO先生の本意を理解。小線源療法後は1年間有効な放射線のカプセルを埋め込み、そのまま生涯暮らすことになるが、もし?小線源が放射能を放つ有効期間の1年以内に亡くなった場合についての危惧。放射能のカプセルを法的に適正なる処置下に置くために施術医にお呼びかかかり取り出さなければならないのだそうだが、その法的処置について地理的物理的に不可能が故、大腸癌の再発転移で一年以内に亡くなることが無いのかどうか心配しておられることが理解できた。自分的には2015年に肺に転移していた肺癌と親元の大腸癌の摘出手術を受けて5年生存率は転移していたが故にSTAGEⅣの10%、更に抗癌剤投与で15%に向けて自分を信じ3年が経過した訳だが、ここで亡くなる心配をされるとは思わなかった。STAGEⅣと言っても全身転移とか多臓器に渡っての転移とか手術不可能のケースとかと同等のSUTAGEではあるが私の場合、患部は全て取り除いたケースであるわけで、、のところでO先生「血液による遠隔転移ですから100%は不可能」とばっさり。確かにおっしゃるとおりです。先生は更に5年生存後のことも心配しておられ、II医療センターの私の主治医への手紙を持たせることで納得されたようだった。更に待合で控えているとお呼びがかかり採血。看護師のお姉さんが注射器を扱いながら「先生、大丈夫でしたか?」と含みのお言葉。??大丈夫じゃない患者さんがおられるのですか?と質問すると嬉しそうに「はい」とのこと。気難しいというか真面目な学者さんなのだと思う。1430分に来るよう言われ6階の展望レストランで琵琶湖を眺めつつ日替わりのビッグチキンカツ定食。食生活に反省が無い大腸癌及び前立腺癌患者のわたし。1430分処置室にて、上半身はネクタイ姿で下半身は得意のフリチン、後ろに穴の開いた紙パンツを履いてお産するような台に仰向けに乗って両足を高く広く固定されたと思ったら「息を吐いて~」多分、直腸越しの前立腺の触診。先生と看護師とわたしの住む街について雑談(ほっとする)しながら多分エコーのプローブによる診断。肛門激痛のままなんとか終える。更に数時間待ち、治療方針案が発表、小線源による放射線内部放射単独、あるいは外部放射との併用とのことだった。私の希望は小線源による放射線内部放射単独。一番副作用が少なく、日数もかからない。但し、放射線線源の取り扱い注意。そんなこんな長時間待合いで座り続けた疲れも残るまま在来線で本家のある奈良市に移動、行き着けの小料理屋で飲むビールは美味かった。

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